つい先週だったか、サマーウォーズというアニメ映画がテレビで放映されていた
今ではどうかしらんけど、ああやって親戚一同がお盆に集まるのは昭和では当たり前のこと、みんなはどこでこれを読んでくれているのだろうか?

親戚付き合いなんてウゼーと思っていながらもこの時期どうしても戦争のことを思わなければならない雰囲気になるわけで
ネット上もその例外にもれず、常にネット右翼的な発言が繰り返されるわけだが、そもそも我々が知っているのはあくまでも戦争の記録のみ、しかもネット上の議論では自分たちに都合のいい資料だけを持ち出してあれは本当これは嘘などという水掛け論になりやすいので最近は少々うんざりしているところです
こういう時はジジババに聞けばいい、一応最近流行りの行方不明になっていなければ平成18年度の統計で85歳以上は300万人くらいいたらしいので戦争体験者もそれなりにまだまだ存命中と思われる
戦争に行っていなくても雰囲気は聞ける、テレビの意図的なインタビューや特定の思想に染まっていない生の戦前を聞いて置いても損はないと思うよ?

ということで本日、我が家もお盆ということでジジババのジジにあってきた
ジジババといっても我が祖父母はとっくに他界しており、あってきたのは祖父の弟に当たり幼少の頃に養子に出されているので苗字も違う大おじ様なんだがね
その大おじ様はうちの祖父と共に苗字の違う兄弟同士で満州へと渡り、溶接工として活躍していたようです
うちの祖父は染色工場の工場長として働いており、満州で生まれたうちの父親も満州で抱っこしていたそうです
その後、終戦に向けて背が高く体格のよい大おじ様は徴兵されて軍へ
「速射砲を燃料がないからと人手で引っ張って、休憩になってからは奇数、偶数に別れて殴り合い、負けた方は走らされて走り終わったらまた速射砲を引いて移動。上官に殴られる度にだれが天皇陛下万歳って言って死んでやるもんかって思った。」
幼少の頃からずっと37年間変わらぬお言葉です、どうして年寄りは毎回同じ話ばかりして飽きないんだろうw
死んだ人の悪口は言わない、そういう日本文化の中でなかなか言えないこと、閲覧が厳しかった時代にこんなことを手紙に書けるわけもなく残っていない当時の兵士の思いの一つだと思って資料検討の一材料にでもしていただければ結構です
「天皇陛下のためでなく、親族や故郷のためになら死のうと思った。そうなる前に終戦を迎えて半年間は無気力になった、でもそのままじゃ食えないし日本を再興しなきゃならんし、それで仕事をすることにした。」
ともおっしゃっておりました
最後に
「死んだ後のことなんて生きている人たちの都合で決めてくれりゃいい、こっちは死んだ後なんてどうでもいいことだからな。」
とも言っておりました
これはもう老人になったから言えることなのか、それとも当時からそう思っていたのかはわかりません、ただどうしても靖国神社に来てくれと思ったり墓参りしてくれよって思って死ぬ人間がどれだけいるのか?ってことだと思います

靖国議論の中で最近は美化しすぎでは?と思うことがありましたのであえてこういう記事を書きました
しかし個人的にはそれでも靖国神社、もしくは地元の護国神社に少なくとも1回は行くべきだと思っております
日本国中から若い男性が徴兵され、故郷や家族のためにと思って死にたくもないのに死んでいったわけです、その時の国民との約束が「靖国で会おう」であったと思っております
我々は天皇陛下でもなければ総理大臣でも閣僚でも政治家でもありません、だから人生に一度だけでも結構なので行ってみるといいと思うのです
かつてこの国の建国や維持に命を張ったご先祖様に一度くらい手をあわせてもいいんじゃないでしょうか?
その上でいろいろな思想信条を元に議論を展開していただくとありがたいと、年寄りの長話に付き合いながら思ったことを書かさせていただきました