3月11日以降、様々に思うところがあり、様々な方が、様々な問題について、様々な場所で語り合っていらっしゃることと思う
テレビやインターネットなどを見ていると、どうしても是か非か論に陥りやすいことに多少の危惧を覚えなくもない
世の中そんなに単純に割り切れるならばそもそも政治など必要のないことなのだろうからね
今例えば我が地域だと浜岡原発の停止に付いての是か非かが議論されていたりする
止めたことに対して是か非かと永遠と論じているように思えて、実は中身について大して理解が進んでいない
つまり中身を議論できていないのではないか?と思うんだ
原発推進派、反原発派などとカテゴライズされ、議論に参加するようにと促されることもしばしばあるが、私は個人的にはどちらの論者でもないので参加しない
問題は、動かし続けるのであればどういう対策が取れるか とか 止めるのであればどういう対策が取れるか を語ることであって、原発の是非という結論の出ない論争はあまり興味がないからであったりする
原発を推進もしくは容認するのであれば、例え数%であってももしものことがあったときの対応策をしっかり練り直さなければならないと思うし
原発を止めるもしくはなくすのであれば、現実的な電気不足に対処するような対処策を議論すべきだと思うんだけどそういう意見はあまり見かけない
その上で議論課程で出たリスクとリターンを秤にかけてトップが決断をする、これこそがトップダウンではないかと思うんだがどうなんだろう?
個人的に菅総理の独裁的な決断の連発には少々辟易している
トップダウンを勘違いしているのではないか?とも思える
たしかにトップは決断をするのが仕事だが、物事を動かすにはそれなりの事前準備が必要で、さらに党内、野党、企業の協力を仰ぐのであれば事前説明、もしくは事前告知くらいはすべきだろうと思うのだが、それを拒否されてもやる!ということならば支持もしようがその根回しの形跡すらないとなるとただの強権発動首相かと
是か非かだけで内容を語らない国民と、国民の意見も専門家の意見も国民の代表たる政治家の意見も聞かずに勝手に強権発動をする総理
なんだか議会制民主主義が壊れる音が聞こえているような、そんな不安を感じます