元自衛官に取ってこの言葉は本来魔法の言葉である
国の為に、国民の為に死ぬと約束して18歳に自衛官になったわけですので、それに偽りはないのですが、最近言葉だけの愛国心なんていうのが先行しているので苦言を呈したいなと思う次第

竹島、尖閣諸島、これらは確実に日本の領土である

という前提は持っていただいているということでお話を進めさせていただきたい
これに異論のある方々はもう主義主張が合わないのでここから先の文章は読まなくて結構です

領土問題の解決とは、つまりはドンパチを意味するということはご理解をいただいて
いくら歴史上我が国が正しかろうと、いくら国際司法裁判所なる場所がそういう判決を下したにせよ、領土を明け渡してもらうためには余程の交渉が必要か、それともドンパチでもして勝たない限りはありえないわけです
ただしかし、竹島や尖閣諸島のためにドンパチできますか?
柔らかい表現は辞めましょう、竹島や尖閣諸島のために戦争はできますか?
未来ある若者を死なせてまで譲れない問題なのですか?
と問われるとそこまででは無いと感じている方も多いのではないでしょうか

これは簡単な問題で、竹島や尖閣諸島に日本人は今住んでしますか?
その人達が守ってくれと言ってますか?
という問いにそのまま直結するのだろうと思うのです
いくら国土、領海と云えど、そこに住人がいないのであれば国土という意識は希薄になります
北方領土は別です、そこに日本人が住んでいたわけですから問題意識が持ちやすいのですが、現在の竹島や尖閣諸島に日本人が住んでいない以上、イメージしにくいわけです
とは言え、我が国の領土ですので守るということに手を抜いてもらっては困るのですけどね

さて、視点を変えましょう

人口2000人に満たない村があります
ここは侵略されるわけでもないのに10年後には消えてなくなるかも知れません
日本国土としては残りますが、村という単位が失われる可能性が高いのです
地方分権と聞こえは良くても、道州制を導入し、大規模市町村にしなければ効率が悪いということでそうなってしまうことがあるかも知れないのです
大都市部に住んでいる人間にはさっぱりわからん話だと思うのですが、ここには人は住んでいて生活をしていて、さらに歴史だって積み重ねられております

これらの地方自治体を斬り捨てることは愛国心と関係ないのですか?
だれも住んでいない尖閣諸島を数十億の価格で買うのが愛国心ならば、消えてなくなりそうな村に毎年数十億を支払うのは無駄なことなんですか?

孔子は論語の中でおっしゃっております
「四十にして惑わず」
しかし、愛知県という地方自治体のしっかりした大都市部で育って、その世界の中で政治を学んだ私にはその愛国心の定義が揺らぎつつあるわけです
非効率だから削っていいのか?しかし尖閣諸島は買い取ってくれるのか?それを守るために若者の命を犠牲にしなければならないのであれば、消えゆくであろう山村にもっと若者の情熱を向けていいのではないか?
最近インターネットやイベントを通じて私の元へ若者がメッセージを送ってくれます
ITを使って地方の活性化をやってみたいという人がとても多いのです
IT屋崩れとして、政治家崩れとして、社会人失格の人間として、それでもなお若い世代に引き継げるとしたらなんだろうと思うのです

竹島や尖閣諸島のセンセーショナルな事件も確かに重要案件ではありますが、もっと身近なところに目を向けてください
今まさに消えようとしている自治体があるということを
そしてその自治体が消えることによって不利益を被る人たちが少なからずいることを
その上で問うてください

貴方にとっての愛国心ってなんですか?